ICON 非日常の後の浮遊感

「BN童子の青春 グッドバイ」 / 阿久 悠(集英社)


 あなた死んでもいいですか
 胸がしんしん泣いてます
 ……あなた恋しい北の宿
 いやあ、あの、その、死んじゃいけないよ。あなたみたいな一途な人は……。あの、だからといって側にいられると困るんだけど、その……ガンバリなさい。
 ごらんあれが龍飛岬
 北のはずれと……
 いいね、いいね、とことん迫るね。阿久悠の代表的作詞の『北の宿から』『津軽海峡冬景色』だ。歌詞は虚構がきつくないと酔えない。歌っていても、のめり込めない。そもそもカラオケは聞かせるためにあるんじゃない。日常生活から非日常へ脱皮しようとする意思にある。でなければ、これ程カラオケボックスが増殖する訳がない。「でも、脱皮の仕方がちょっとネ」と言われれば、その通り、ごもっとも情けない。
 その脱皮の仕方がカッコいいのが、この小説の主人公のBN童子。「北」が好きな作家がオヤオヤ無理しちゃってという感もするが、スーパースターの、ロックシンガーなのだ。ステージで非日常になることがお客への最大の誠意と考え、正気を捨て、熱狂する客と連帯する。またその一方では、ごく普通の大学生という顔を持ち、幻想と平凡を行ったりきたりするお話。演歌独特の恨み節は、最後まで聞けない。登場人物はみな冷静で客観的だ。ちょっと残念。
 私も職業柄、日常と非日常の境目は知っている。1週間位の公演が終り、日常が地につかなくて、巷をふらふらと浮遊する感覚はたまらないものがある。「明日のジョー」が灰になるとはこういう事かしらんなどと考えたりする。まさに、役者と乞食は1度やったらやめられないとは、非日常の後の浮遊感にあるのだろう。しかし、これを求めても、いつも味わえるとは限らない。だからズルズルと続けることになる。そして、この感覚がなくなった時、「枯れたね……」とか言われるのだろう。
 50歳前後のロックシンガーも小説に登場する。これが妙にリアリティがある。モデルがいそうだ。知能が停止しているのか無理しているのか、枯れる事を拒否する。そして、若いシンガーを、偽者と罵り殴る。私も、GS時代のロッカーに聞いた事がある。彼(太っている)はロックの大御所に「ちゃらちゃらドラマに出てるんじゃねいよ。ロックだよロック。ロックの魂を忘れるんじゃねいよ」と怒られ、しばらくして会うと、その大御所、自分がドラマに出演した後で「ドラマだよな、ドラマ。ドラマにはロックがある」とおっしゃり、なんだこの人! と思ったと言っていた。
 小説の大御所は多夢星人と名のる。読み終わった後、この初老の男がしつこく印象に残る。見栄とはったりで日常まで虚構に生きる。知性派ボケの私には、羨ましくも哀れでカッコいい。

( 協力 / 桃園書房・小説CULB '91年4月号掲載)

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